和樂の先輩より

23歳 社会人 久留米市勤務 Y.A.君

4歳の時から和樂書院に通っています。
幼い時は通っている意味もあまり分からず、しぶしぶ通っていた感じでした。小学校で表彰されるときは決まって女子に混じって男一人だったため、誇らしさより恥ずかしさが募るばかりで良い印象がありませんでした。そのため、当時字を褒められても、さほど嬉しくありませんでした。
また、周りの友達が遊んでいるのを羨むときもありました。それでも、なぜか”サボる”という発想は無く、毎週通って書き続けました。

中学校で部活に入り忙しくなってきたため、とうとう親にいつ辞めるかを相談しました。今すぐにでも辞めたい心はありましたが、「”特待生”まで取りなさい」と許してくれませんでした。この時、さっさと特待生になって辞めてやると軽く考えていましたが無論その壁は厚く、なかなか昇段できませんでした。この時、今まで無かった挫折を味わい、「悔しい!」という気持ちが芽生えました。部活と勉強の時間をやりくりし頑張った甲斐あって、特待生の目標に到達できました。特待生を取れたのは、辞めようとした私を引き留めた親のおかげでした。あんなに辞めたいと思っていたのに、いざ特待生を取ると少し寂しさを感じていました。

高校に入学すると書道部に入り、展覧会や文化祭でのパフォーマンスにもチャレンジしました。 大学では他県の理系に進んだ事も有り、筆を持つチャンスは一度もありませんでした。しかし、就職活動で自分の長所を考えていたとき、ふと書道をしていた事を思い出し履歴書の特技の欄に書くこともありました。

今年から社会人として会社に勤務する様になりました。そんなある日、上司に字を褒められ、その上司が「会社のスローガンを書いてよ!かっこいいじゃん!」と軽い気持ちで私に任務を与えてきました。貢献できるなら と一つ返事で受けました。ブランクがあったものの体は覚えており、改めて”自分の字が人を喜ばすこと”に嬉しさを感じました。
躊躇なくスローガンやパフォーマンスが出来たのは、栗原先生のご指導の『賜物』であるからだと気付かされました。

こうして上司の言葉が”趣味として”やり直そうかなと思うきっかけになりました。この機会に初任給で書道具を新調しようと思い立ち、約5年振りに栗原先生の元へ会いに行きました。多くの人から字を褒められたこともあり、本気で上手くなりたいと栗原先生に弟子入りを志願しました。この時、『書道はもはや”趣味”ではなくなりました。自分自身の”武器”です!』と言うと、先生はニヤリと笑ってくれました。 あんなに辞めたがっていた書道が、いつの間にか自分の武器にしたいとまで思うようになりました。

30歳までに師範になるという目標を掲げ、私の書道人生第2章が始まりました。

今後は、会社内に留まらず、社外でもパフォーマンスなどにも挑戦したいです。もちろん会社の業務も怠らず、プライベートも、そして書道も充実させていきたいです。

最後に、和樂書院の生徒達へ伝えたいことは、

【今書道ができているのは、教えてくれている栗原先生と通わせているご両親のおかげであること】

私はこれに気づくのが少し遅かったです。
みなさんも今は分からなくても、いち早く気づいて感謝できたらいいなと思います。 そして、☆栗原先生は日々進化していく偉大なる存在であること☆をお忘れなく!